『3.11』東日本大震災をキッカケに誕生
茨城セイバーズは東日本大震災を故郷である福島県いわき市にて被災した私が、残り少ないガソリンで水戸へ辿り着いたところからスタートします。水戸で出会った皆様に元気と立ち上がる勇気をもらったことで、この場所でアメリカンフットボールの草チームを立ち上げました。
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▼ チームの変遷

Our journey so far
― 3.11から始まった、不屈の挑戦記。2012年3月11日、たった一人で掲げた灯火は、地域の皆様に支えられ、今や茨城を代表するスポーツコミュニティへと成長しました。挫折と進化を繰り返してきた私たちの軌跡をご紹介します。
茨城セイバーズは東日本大震災を故郷である福島県いわき市にて被災した私が、残り少ないガソリンで水戸へ辿り着いたところからスタートします。水戸で出会った皆様に元気と立ち上がる勇気をもらったことで、この場所でアメリカンフットボールの草チームを立ち上げました。
「水戸セイバーズ」として活動を始めたチームは、まずグラウンドの使用許可を得るという壁にぶつかります。水戸市に留まらず日立市、那珂市、笠間市、つくば市……思い浮かぶ市町村へ向かい使用許可のお願いをする日々。ソフトボールと申請し練習を行ったこともありました。未経験者も確保しなんとか登録者数を揃えた私たちは所属したNCFL(北関東リーグ)で初年度優勝を果たすことが出来ました。
茨城県内に留まらず栃木県・群馬県へもグラウンド探しの旅へ毎週出かけるもなかなか成果が得られない日が続きます。そんな中、水戸市のあるスポーツ施設の窓口にて担当者様より「どこの誰だかわからない人に何だかわからないスポーツでは貸せない」と言われた私は水戸へ移住することを決意。水戸市南町に住まいと店舗を契約します。
焼き鳥専門店「炭火焼鶏とり三(ぞう)」を周囲の反対を押し切り完全な素人で開業しました。無鉄砲に見られがちな私の行動は「はじまりの決意」に沿い一貫して活動しております。水戸へ移住後は次のステップへの準備を開始します。X Leagueを目指す機運を高めるためNCFLから東京都のUFL(アーバンフットボールリーグ)への移籍を決意。足掛かりとして「NCFL vs UFL」のオールスター戦を提案し実現に至ります。
2年連続での「NCFL vs UFL」のオールスター戦を実現。その後チーム単独で春季トーナメントへ出場し第3位となりました。ステップアップへの機運が高まり、2016年からUFLへのリーグ移籍を決定しました。私たちが脱退したことで、NCFLは1996年から続いてきた歴史に幕を降ろしました。自らがNCFLの閉幕に大きく関与した責任を重く受け止めて、何年かかってでも何らかの形でNCFLを復活させたいと考えております。
舞台をUFLへ移しての初年度は厚い壁に阻まれて2勝4敗の第5位でフィニッシュ。失敗から多くを得ることができ学びの多い一年となりました。UFLへ移籍した理由はX leagueへのチャレンジを見越してだけでなく、UFLが江戸川区との連携を図っている団体であることからそれを所属チームとして学びたかった点も挙げられます。「はじまりの決意」に沿った前進であったことを記します。
UFL所属2年目、昨年の反省を活かしたチーム運営が実を結び決勝戦への出場は最終節までもつれました。結果として決勝進出は逃しましたが第3位を獲得。そのシーズン終了後、チーム内表彰式においてX leagueへの挑戦を表明しUFLへも報告。NFA(日本フットボール協会)へも加入が承認され晴れて舞台を移すことになりました。小さな階段をたくさん作り少しずつ上ることで在籍者に不安や拒否反応を最小限に留めることが出来ました。
X Leagueへ加入後には査定試合が開催されます。その査定試合にてアキレス腱断裂など多数の負傷者を出し私たちのチャレンジが甘くないことを痛感しました。その試合を境にチーム内の雰囲気が変わりX3 Leagueにて準優勝を収め翌年からX2 Leagueへチャレンジする権利を獲得いたしました。
苦労して勝ち抜いたX3 League、舞台はさらに厳しさを増します。開幕戦を0-70と惨敗し非常に苦しいシーズンが始まりました。徐々に得点できる機会も増え始めたもののなかなか結果に繋がりませんでしたが、最終節にて勝利を収め初白星を獲得し自力でのX2 League残留を決めました。このシーズンを乗り切ったことでX2で戦うために必要なモノは何かが理解し始め来シーズンの飛躍を誓いました。
X2 Leagueでの飛躍を期して迎えた年、新型コロナウィルスの蔓延により大きな暗い影を落とすことになります。少しずつステップアップ、そしてモデルチェンジをして来たチームが受けたダメージは大きくチームは一切の活動を中止、2020年の大みそかに在籍選手への意思確認をしたところ35名中20名が引退することになりました。この頃よりフットボール界全体の競技人口減少に危機を感じ始めフラッグ教室等の認知度を上げる活動を少しずつ開始していきました。
活動再開を決めた私たちの初日の練習はわずか7名。リスクを負って首都圏で試合に臨むことに違和感を覚え県内でホームゲームが出来る場所を模索し、鉾田市が手を挙げてくれたことで連携を開始しホームタウンとなりました。競技人口が極少の本県で首都圏チームを超えるため「環境・ビジョン・社会的使命感」を整えることに心血を注ぎました。この年、選手数は46名まで一気に増えることとなります。現在のセイバーズはこの年が起点となっています。
ホームゲームを3試合(全6試合)開催することが出来るようになり少しずつ応援してくださる方が増え始める。鉾田市だけでは練習環境が整わない中、隣の行方市が練習場所の提供を申し出てくださり連携を開始、ホームタウンが増えました。公式戦はシーズンを首位で折り返すなど昨年までとの違いが表れ始めます。この年から「3年でX1」を合言葉にX1昇格を現実的な目標に据えて活動していくことを決めました。
「3年でX1」の2年目、商業施設と連携し「茨城セイバーズ写真展」開催。練習と地域イベント等が重なり始め、代表である私は選手活動を停止しました。現在のX Leagueの多くは選手の部費でチーム運営をしていることから選手運営費負担をゼロとしました。その答えが2025年に出ることとなります。過去最高の準優勝で終了し「3年でX1」の最終年へと繋げました。このオフである1月「炭火焼鶏とり三(ぞう)」を廃業しフットボール専門の会社として退路を断ちました。
「3年でX1」の3年目、ホームで8割以上の勝率を誇る開幕戦を落としたのを皮切りに2勝4敗の8位にてフィニッシュ。機は熟したはずのこの年に主力選手の負傷などで歯車がかみ合わずX1昇格を逃すこととなりました。プロコーチ、プロ選手の重要性を感じることとなりました。またファミリーチームにおいてはキッズ・ジュニア・シニアの全世代で全国大会出場を遂げました。
昨年の反省からまずプロコーチのオファーを検討しますが交渉期間が過ぎたことで不調に終わります。その後に上位リーグで2度のMVPを獲得しているプロ選手アーロンエリスを獲得、チームの柱として牽引し優勝に限りなく近づいたものの僅差の3位となりました。長年の目標だった水戸市との連携を果たし、「はじまりの決意」のひとつである「ケーズデンキスタジアムでホームゲームを開催する」という目標を達成することが出来ました。
東日本大震災発生後、先の見えない不安から残り少ないガソリンで向かった場所が水戸であるのに対し、精神的な救いを求めて翌朝に向かった場所が笠間稲荷神社でした。学校部活動の地域移行、他の自治体よりも抜きん出た地域イベントに対して多方面から協力を惜しむことなく地域活性に貢献する所存です。
「草チームから日本一へ」ー 3.11から始まった、不屈の挑戦記。2012年3月11日、たった一人で掲げた灯火は、地域の皆様に支えられ、今や茨城を代表するスポーツコミュニティへと成長しました。挫折と進化を繰り返してきた私たちの軌跡をご紹介します。